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私とショパン
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幼い頃から、なぜかショパンだけに強いこだわりがあった自分。
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勉強も練習も、自分から進んでやる子供ではありませんでしたが、
ショパンに関する事だけは、色んな本を何度も読み返したり、
ショパンの画像をネットで探してプリントアウトし、
部屋中に飾ったり、ファイリングしてコレクションにしたり。
完全にヲタクでした。
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誰もが知っているであろうショパン国際ピアノコンクール。
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私が中学生のころ、15年ぶりの優勝者が出たということもあって、
当時かなり大々的に取り上げられていました。
情報に疎い私の耳にも当然入ってきて、その時初めてそのコンクールの存在を知りました。
そして、ダイジェストでコンクールの模様を見て、強いあこがれを抱きました。
ポーランドに行ってみたいなと。本などで見ていた景色を、実際に見てみたいと。
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高校生の時、いつものように画像漁りをしていると、ポーランド夏期ピアノ講習というものを見つけ、
そんな夢みたいなものが存在するのか!と、食い入るように内容を見ました。
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大学生になったら、バイトして稼いで絶対行く!
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そして、大学2年の時に見事実現しました。
目にするものすべてがまぶしくて、本当にうれしかったのを今でも覚えています。
入学した大学では資料室に膨大な数の音源があり、
ショパンコンクール歴代の優勝者を探し出し、ひたすら聴き漁ったり・・・
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結局自分の中でショパン熱はおさまらず、ほぼ勢いで留学することを決めてしまいました。
まずは講習会でお世話になった先生に手紙を書き、レッスンをしていただけないか頼み込み、
アポが取れたらすぐにポーランドへ行きました。
そして、直談判。
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今思えば、よくあの状態で生徒として迎えますよと言ってくださったなと思いますが、
その先生との出会いも、とても私にとっては重要なものでした。
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そう決まってからは、もう寝ずに働きまくりました。
年間の学費、物価、もろもろのおよその金額を計算し、
最低限必要な額を割り出し、わき目も振らずに働きました。
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今はもう、絶対あんなに働けないし、後にも先にもあんなに働くことは
ないんじゃないかというくらい、働きました。
潰瘍ができたり入院したりもしましたが、そんな体調のことはもはやどうでも良かった。
当時働いていた仕事仲間のあたたかい応援にかなり支えられたからこそ頑張れました。
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そして色んな思いを胸に、留学が実現しました。
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当時の日本人留学生の間ではピアノをレンタルして、
ピアノ可物件を借りるのが主流でしたが、
お金の問題があったため、
学生寮やホームステイなどで生活させてもらい、
家計簿をつけ、浮いた分を授業以外のレッスンにあてたりしてやりくりしていました。
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途中ホームレス状態になったりもしました。
大学の練習室が留学生だけ使えなくなったりもしました。
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練習する場所がなく、地下の廊下に置いてあった、
弦が切れたり鍵盤が何個か壊れてなくなってレッスンなどでは使い物にならないピアノで、
真冬の寒い中、震えながら早朝から一人練習していたこともありました。
紙に鍵盤を書き、それで練習してレッスンに向かうこともありました。
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死に物狂いで働いてここへ来たのに、私は一体、何をしているんだろうと
悲しく思う事もありました。
まわりから、そんな練習じゃレッスンにならないだろうと言われたりもしました。
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けれども、ある時に図書室で働くおばさんに、『私この曲好きよ』と言ってもらえて、
その言葉がものすごく励みになって、精神的にも体力的にも
限界だった状態から持ち直すことが出来ました。
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レッスンでは1音1音のタッチの感触を必死に感じ取り記憶し、
弦が切れていようが、鍵盤がなかろうが、すべてイメージでカバーし練習しました。
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人間やろうと思えば何とかなるもので、レッスンの時に違和感なく弾く姿を見て、
先生も驚いていました。
生徒がレッスンで弾きたい曲を相談するとき、技術面だったり
ちょっと難しいかなと思った時には、先生の判断でやるかやらないかが決められますが、
私の場合はほとんど止められることはありませんでした。
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それは、私の日々の練習や気持ちの方向性が間違ってはいなかったということ。
ボロボロのピアノで弾いて白い目で見られようが何だろうが、
確実に自分の中で自信になりました。
どの場所で、どんなピアノにあたっても、気持ちはぶれずに、怖がらずに弾けるとも思えました。
そしてコンサートではトリを務めさせてもらいました。
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最大の収穫だったのは、
楽器が問題ではない。大切なのは気持ちだ という事。
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この意見には賛否両論だとは思います。
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あくまで私のようなレベルだったからこそ成り立ったというだけで、
より高いものを目指すには、お話にならないと笑い飛ばされるのかもしれません。
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それでも歴代のショパンコンクールの優勝者の中にも、下積み時代に
シロアリが住み着いたボロボロのピアノで練習していた人もいるし、
古いアプライトでコンサートを開いた人もいます。
『もっとレベルの高いところで勉強すればいい』と言われても、
『自分は先生やこの場所が好きだからこのままここで続けたい』と、
敢えて環境を変えなかった人もいます。
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『この楽器では弾けない。弾きたくない』という人は少なくありません。
でもそれは、聴いてくださる人によりいいものを提供したいと思う気持ちからでしょうし、
否定はしません。悪いとも思いません。
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けれども私は上記の方の姿勢や気持ちにとても共感できます。
もちろん私と彼らでは、技術も音楽性も人間性も、雲泥の差なのですけれども。
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それでもやはり、彼らのような人は、きっと音楽もあたたかい。
聴きたい。聴いてみたいと素直に思えます。
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音楽は人間性が顕著に出ます。
苦労を重ねただけ、人間にも音楽にも深みが出る。
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音楽が人間性を豊かにする
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人間性が音楽を豊かにする
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音楽の人との関わりの重要性はよく耳にしますが、
自分で経験することで身に染みて実感することができました。
それでもやはり、音楽を長く続けるには、環境や金銭的な問題は常についてまわります。
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環境・金・運・タイミング・出会い・技術・音楽性
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『一握りのひとしか・・・』という意味も、
同時に痛感した私なのでありました。
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幼い頃から何故だかものすごく好きだったショパンは、
私にたくさんの事を教えてくれました。
私はただのショパンバカ。それでも、こんな自分でも、
何かちっぽけで些細なこと一つでも伝えることが出来ればと思います。
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